2021年3月13日土曜日

備忘録。

 工場から飛び出して波打つ地面を眺めていたこと。

その時、何を考えていたのか、

今もはっきりと覚えています。

10年。

学区外から小学校へ登校していたため、

下校時間に一人その時と遭遇した長女は

晴れて今春、高校を卒業。

時の流れを感じることが出来るのは、

なにより有難いことです。

あの日、帰宅出来ず店で一晩泊まることとなった母。

その時、自分の体調に異変を感じていたとは、

翌年、最期となった入院先で語っていたこと。

当時、ベルカテナは長野御代田に支店を持ち、

運転も出来ない母に代わって、

大抵週末は僕が土曜日の夜中に車を走らせ、

商品の入れ替えやディスプレイ変更、

時には材木や切断機、木ネジや金具などを

トラックいっぱいに積んで什器を自前で作ったり、

考えてみれば色々やっておりました。(苦笑)

(今もたいして変わりないか…)

あの頃を少し思い出そうとPCの保存文書を探し、

発見した文章は、震災から10日程経過した頃に

『今、そしてこれから』と題し、

御代田のスタッフに宛てたものです。

スタッフからボランティアや支援物資の相談があり、

母に代わり僭越ながら僕がお応えしました。

思い出話しが悉く20~30年ものになっていて

自分でも驚いてしまうことが多い中、

この出来事については何故だかもっともっと

昔のように感じるのは不思議です。

なんとなく留めておきたく長文ですが以下、

コピペです。大袈裟ではなく会社の存亡を掛け

一刻の猶予なく金融機関への状況説明、

返済猶予(いわゆるリスケ)の相談という難しい文章を

ゼロから作成しなければならない状況が自分の肩に

のしかかっていて逸る気持ちの中、しかも

計画停電で途切れ途切れになりながらの文章なので、

飾る余裕もなく繫ぎも無茶苦茶ですが、

かえって正直な気持ちを綴っていると感じます。

家内に言わせると、当時も家族ほったらかしで

自分勝手だったわよね、となってしまい(苦笑)

黙るしかないのですが、

個人的には決して"好き勝手"ではなく、

かわいい盛りの子供たちを置き、後ろ髪引かれながら

やらなければならないことに一生懸命だったことは

言ってしまうと炎上するので、

(笑)

いつかの娘たちへのメッセージとして、

こちらに留めておきたいと思います。

100%自己都合なので、スルーしてくださいね。



"皆様ご苦労様です。お知り合いなど東北地方で直接被害に遭われた方もいらっしゃるかもしれません。

心よりお見舞い申し上げます。

あまりの悲惨な状況にひとしく日本人としてそれぞれ何が出来るかを考えていることに感激することも多いですが、10日以上過ぎた現在もこちらでは余震や原発、ガソリン渋滞、そしてスーパーでの品不足など、落ち着かない日々が続いております。

とりわけ計画停電が日常生活に与える影響は大きく、1日に2回も3時間にわたり停電すると家庭のみならず製造業や小売業も全く仕事になりません。首都圏では電力事情は数年良くなる見込みはないわけですから、上手く付き合っていかざるを得ないのですが、経済的な停滞は免れないものと思われます。

また、今回の一連の動きの中で今の日本が抱えている問題が顕在化したことも多々あります。中でも

総理、中央マスコミ、東京電力、原子力保安院などいわゆる中央の浮き足立ち、当事者でないような緊張感のない無責任な振る舞いと対照的な自衛隊や消防などの冷静で献身的な活動、そしてそこから発せられる言葉の重み、どちらに心を励まされるかは皆様も同じ意見かと思われます。

しかし残念なことに、国の仕組みを決めているのは前者に属している人たちです。私は23区内に住み、職場は埼玉なので自分の体感として言いますが、停電の有無による生活の負荷は相当違います。東京23区は原則停電対象外、但し下町の日々の生活を営むための商売をしている人が多く住む足立区、荒川区、そしてわが町板橋区などは対象エリアとなっています。つまり中央の人が住んでいるところは停電対象外です。残念ながら国の大きな流れは後者が握っている以上、これからは議論の余地なく大企業などの存続を中心に進んでいくことは間違いありません。具体的には、消費税の増税、低中所得者への減免措置の廃止や年金など日々のささやかな生活を営んでいる人、とりわけ高齢者は直接的な負担を強いられることになるでしょう。参考までに、大多数の中小企業にとり法人税の負担は大きくありません。一方、大企業のそれは大きなものです。でも消費税は我々にとっては負担がとても大きなものですが、大企業にとっては実はそれほどではないのです。輸出をすると消費税は非課税となり還付金が企業に入ります。また銀行は融資の利息などは消費税非課税です。メガバンクに至っては10年以上法人税も払っておりません。つまり彼らは極論すれば消費税は何%でもいいわけです。こういうことはマスコミもあちら側なので絶対に言いませんから、我々はきちんと知っておかなければなりません。

それぞれの負担増は免れませんが、こういう時だからこそ本当に良い社会へ導くためにしっかり監視していかなくてはならないと思います。

 今回の支援の申し出にベルカテナとしては協力しない方針としたことには説明が必要かと思われます。神戸の震災以来、民間でも専門的なしっかりしたボランティア組織が数多くあります。原発の問題、救助、必要物資の膨大な量、どれをとっても今はスペシャリストが動くときです。ユニクロは30万着用意したように今必要なのは圧倒的な量であり残念ながら我々は力不足です。

一方でお店の状況は震災以降どうですか?これから本当に長きにわたり日本で暮らす人々は支えあっていかなければならないでしょう。中でも命をつないでゆく女性が落ち着いて、元気であることが今まで以上に求められているのではないかと、私は考えております。

 今こそ大山店やサンガコーヒー、ベルカテナが地域の方にとっての元気で明るい女性達が集う空間になるように携わる一人ひとりが真剣に向き合っていくことが求められていることではないでしょうか。

このままいくと、来月あたりから商店や小さな企業はバタバタと潰れていくでしょう。決して対岸の火事ではありません。我々もそのグループの一員です。現在の中小企業はほぼ100%国の保証を担保に融資を受けております。倒産が増えると、それに伴い代位弁済(税金による返済)が増大します。それだけ復興支援の余裕がなくなるわけです。ですから地域の会社やお店を存続させることが、義捐金を送るより小さなちからとしての我々の貢献度は高いのです。

皆様は店内の雰囲気は好きですか?大山店も西軽井沢店もちょっとほかにはなく、人の温かみと素敵な空間となるよう至らぬまでも最大限考え、木を切り、釘を打って作った作品で愛着があります。

なぜ作り上げたか?それは母がすべてを捧げ、各店のスタッフの皆様がそれぞれに人生の重荷を背負いながらも前向きに生きようとしている先輩であり、その存在を表現するのにふさわしい場所、そして素敵なジュエリーにふさわしい空間にしなければならない、押し付けになりますが、感謝の意もこめてお伝えしておきます。皆様に感化された女性がベルカテナの一員として他の地で開店したいといわれればどこでも僕は出かけてシンボルである3百年の松をイメージしたメインツリーとハンガーを作りにいきます。岩手でも宮城でも福島でも。それが夢です。

長くなりましたが、最後に自分が苦しい中で唱えているアイスキュロスの詩を紹介します。

これは約50年前にアメリカのキング牧師が暗殺された夜に、ケネディ大統領の弟ロバート・ケネディが黒人の群集の中で即興のスピーチをしたときに、引用されたものです。

“Even in our sleep, pain which cannot forget falls drop by drop upon the heart, until, in our own despair, against our will, comes wisdom through the awful grace of God.”

眠りの中でさえ忘れられない痛みがある。その痛みは、我々の意思に反して、滴り落ちるように一滴一滴胸を突き刺す。その深い失望の中に神のお導きによって『叡智』があらわれるまで。“



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