『ぬりゑをたのしまふ’22』
宿題がどしどし返ってきております。
毎年え”ーっと驚かされるご主人様より。
今年もやられました。(笑)
皆様にお楽しみ頂けているようでなによりです。
(まだまだ間に合いますよ!!)
夏も終わりに近づくこの時期に思い出すことが2つ。
もしかして?と思い、確認してみたらやはり
”同じ日”だったことに今更ながら気付き、
若き日の至らなさを、
”そういうところなんだよ、君”と苦笑い。
海外暮らしから成長して帰る兄たちを迎えるたびに
『外国には何かがある』と憧れを抱くようになり、
コンパスも持てず不甲斐ない自分に鬱々としていた
20歳の頃。
何もない自分をいっそ素っ裸にしてみたくなり、
(狂を発するところあり)
留学ジャーナルを買って自分のことを誰も知らない
”どこか”で何が出来るだろう?
そんないい加減なことをマジメに考えておりました。
まずはオーストラリアかカナダに絞り、
どうせなら大都市ではないどこかへ、
となるのも僕の癖。
(ワネストに店を開くことに通じていますネ)
オーストラリアならパース、と決めかけたところ、
喋れないくせに生意気にも
”OZ訛りはイヤかも?”と、
カナダのページをめくる。
すると、
『マイナス40℃』『オーロラ』
というバナナで釘が打てそうで、
植村直己さんの冒険譚を愛読していた僕には
なんとも面白そう?な紹介文、
しかも何故か他と比べると
語学学校の授業料もムチャクチャ安い。
こんな条件から決めた町の名はエドモントン。
(テキトウ過ぎます)
はるかな北の大地、あるはずもないツテを、
なんの偶然か母の繋がりから嘘のようなご縁で
現地アルバータ大学教授の方とコンタクトが取れ、
しかもちょうど出発前に来日されるとのこと。
直前に東京のホテルでお引き合わせ頂くという
奇跡に恵まれました。
素っ裸で行くつもりでしたが、持ってるのかな??
(逆にスッカラカンな僕に愛想尽かさず優しく
相手してくれた紳士からは多くを学びました。)
直行便もなく、もちろん飛行機は最安が条件で、
成田→ロス→ソルトレーク→エドモントンという
いきなり一人でトランジット数回のルート。
スーツケースにすべて詰め込んで…
成田の不安げな様子がコチラ。(笑)
兄も不安そう |
初の外国の地として降り立った、
ロスのコパトーンのような異国の香りに心躍るも
巨大空港で国内便に乗り換えるのがさっぱりわからず
いきなりのピンチもソルトレーク行きのビッグママに
子供のように扱われながらひたすら付いてゆき
(優しいビッグママが初めての英会話実技でした)
なんとか再度国際線となるトランジットもクリアし
20時間の長旅の末、エドモントン到着。
個人的にはなかなか印象深い旅立ちの日ですが、
約30年過ぎた今頃になって”もしや?”と思い
調べなおすとやはり8月22日。
その日は母の誕生日でした。
出発日を定めた時、それが母の誕生日であると
意識した覚えすらないし、
当日おめでとうも言った記憶なし。
いわんや感謝の言葉をや。
余裕もなく、自分のことしか考えてない息子を
見送る母は、今の自分とあまり変わらない年齢で、
その時、息子のことをどう思っていたのだろう?
ふと、考えました。
カナダ滞在数か月後、母から届いたエアメール。
拍子抜けするほどありきたりな文章ながら
自分でも理由がわからない涙が途中から溢れ出し
ほとんど嗚咽状態。初めての経験でしたが
しばしそのままにしておきたい気分でした。
遠く離れ、初めて知った”親”という存在の凄さ。
母も努めてなんてことのない文章にしたのだろうと、
今はなんとなくわかります。
そんなバトンを渡せたらと思いますが、はてさて。
寮からの夕景、どこまでも広がる地平線 |
誰のポスター貼ってたかは思い出せない |
大切なものたち |