2017年12月9日土曜日

10番。

今朝は初氷を観測しました。

隔週金曜のお楽しみ、日経新聞スポーツ欄


『サッカー人として』


キングカズさんのシーズンオフとともに
今週でしばし中断。(泣)
カズさんW杯組み合わせ抽選会に
レジェンドとして招かれモスクワへ
飛んでいましたー。


ロナウド・フォルラン・ブランら代表的な
W杯経験者と歓談し
『自分がそこに立てなかった悔しさ、寂しさが
よみがえり、こみあげた』そうです。
ご本人の今シーズンもチームは10位、
リーグ戦1得点、452分の出場にとどまったことをふがいなく思い
来シーズンへ向けてもう一度、
練習を経て強くなる、と締めくくっています。
ファンとしては嬉しいです!!


『英語で夢を見るようになる。』


『ドラムを叩いてある時脳みそが分かれる』

どこかで聞いたことありますか?
どちらも中途半端にですが経験しました(笑)。
それに比べれば、小さい頃からのサッカーではもう少し深い経験をして
自分のこれまでを支えている部分もあります。


現代サッカーではどうなのかわかりませんが
僕の時代、いや少なくとも僕にとっては


『背番号10番』


を背負うことは特別な意味がありました。
マラドーナ、ジーコ、プラティニ、マテウス、バッジョ・・・
(サッカーに関心のない方ごめんなさい)
10番は例えば大一番、1-0の決勝点を決め
MVPの活躍が出来る選手というイメージ。


専ら僕のサッカー人生は『8番』でプレー。
myラッキーナンバーにしていて、
例えば試合当日の朝は顔を8回洗って、最後に
『勝つぞ‼️』
と心のなかで呟く儀式もありました。
実際8番らしいプレーヤーだったと思います。
ちょこちょことして、ちょっとトリッキー、
チビだけどガッツあり、なーんて上手以外を
『売り』にしてましたね。(笑)
試合後いつも僕だけ泥だらけで擦り傷も絶えず母親は心臓に悪いと見に来ませんでした。
小中学では同じチームに到底敵わない凄い
選手もいたので10番を背負う自信がなかったとも言えましょう。


そんな僕が10番を背負う、最も苦い思い出と
最も良き思い出が詰まった高校サッカー。
決して強くはない都立高サッカー部でしたが
泣く子も黙る国士舘大学サッカー部出身の顧問


『パンチ』(仮名?)


と、見た目大人過ぎる(笑)先輩たちが
意見を闘わせ、考えながらサッカーをしているのがすごく新鮮で楽しくて、
その中に混じって8番っぽいプレーをするのを満喫していました。

迎えた3年生の先輩最後の大会。
前日の練習で我が校のエース、絶対的10番の
先輩が大けがをして大会出場絶望となる
アクシデントに見舞われ、1年ながらスタメンが決定した僕も
『先輩の分まで頑張ろう!!』
と気合いを入れました。


ところが試合前どういう経緯か失念しましたが
エースの10番を僕が背負うことに・・・


たかが背番号で大げさと思われるかも?
ですが初めて背負う10番が3年の先輩にとり最後の大会の1年生、しかも前日の怪我で
出場出来なくなった先輩の無念があまりに重く
正直怖くなりました。

結局、試合前に完全に押しつぶされてしまい、頭が真っ白になって試合中自分が何をすれば
よいのかわからないまま自分の頭上をボールがただ飛び越えてゆく・・・
こんな経験は後にも先にもこの試合だけ、
フワフワと何も出来ず、情けない話しですが
ひたすら『代えてくれ』と考えてました。


結局試合も0-1で負けてしまい先輩の引退。


本当に情けなく、申し訳ない気持ちでした。
先輩優しいので責められたことはありませんが
僕の代であんな無様な出来でしたら間違いなく
呑む度に今も酒の肴にされていたことでしょう(苦笑)。


これを機に、初めて自分から10番を背負える選手になろう!!
と思い、そこからのサッカー部での経験は
今に繋がっていると感じておりますが・・・
完全な独り言となってしまいました。
ごめんなさい。
良いことは興味ないでしょうけどまたいつか(笑)
綴る時はどうかお許しを~。


Have a nice weekend!!
Ted



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