2024年9月7日土曜日

店主。

 『世界に1足、あなただけのスニーカー』

ワネスト移転当時にご案内していた

思い出の生地をスリッポンにするという企画。

お客様にも好評でしたし、

ここにしかないサービスとして、

母から継いだ店を花開かせる可能性を抱き、

自分に前を向かせるものとなっておりました。

ある日、出来上がったシューズをお渡しすると、

『お願いしたことが反映されてなく

履けないから、なんとかしてほしい』

と、お客様からシューズが返ってきました。

こちらのオーダーについては僕が別の接客中に

制作者と直接お話しされていたので大丈夫と

安心して任せてしまっており、

詳細を確認せずにおりました。

慌てて制作者に確認したところ、

ご希望のとおりにしました、という回答。

僕にはどんな会話がなされていたかを振り返る

事実関係がなにも残っていないので、

なにが違っていたのかがさっぱりわからず、

言った言わないの話しをしている場合でもなく、

(もちろんお客様に言えるはずもなく)

とにかく対応が出来ないか?

検討したがやはり難しい。

次に都内の靴修理工房を探しては1件1件訪ね、

相談するも回答はことごとく不可。

そうこうしているうちに日数も経過し、

『方法が見つかりません』

なんて怖くて連絡できないという状況が続き、

自分の中でもその問題がずっと引っかかっていて

気持ちの重い状態が続いておりました。

そんな折、しびれを切らしたお客様から、

『連絡もよこさずどうなってるの?』

という、厳しい口調の連絡があり、僕も観念。

一度ご自宅へ伺い状況を説明したいとお願いし、

なんとかお許しを頂きました。

とにかく謝ることしか方法がなく、

逃げ出したい気持ちで手を震わせながら運転し、

それでも目的地へ到着してしまった時の緊張・・・

それと比べれば税務調査官との厳しいやり取りも

まだ、と思えてしまうほど。

(そちらもかなりしんどいのですが・・・)


『若いあなたの将来を考え、厳しくしたのよ』


後にそんな優しい言葉を頂き、泣き崩れましたが(笑)

まさにその時『店主』という立場とその意味を

学ばせていただいたと思います。


とても厳しく僕の一連の対応を指摘され、

僕は謝るしかないという状況が続く中、

ふとした会話の中からご実家が”佐賀”と伺い、

当時取引のあった”佐賀の靴工房”を思い出し、

そこに掛けてみようと思った僕は、

可能性は限りなくゼロなのでお客様に

詳しいことは告げず、

お返ししようと思っていた靴を預かり、


『もう一度だけチャンスを下さい』


と言いました。

一連の不手際がありながら、

もう一度預けていただいたこと、

叱っていただけたこと、

しみじみありがたいと思っております。

一方工房からすれば直接のお付き合いでもなく、

取引高も細々とした名もなきちいさな店から

突然届いた、

取引きとは全く関係のない無理難題の手紙。

一応取引先であることが相手からすれば

より厄介に感じたはずです。

一方、こちらはこじつけたような奇跡にすがり、

とにかく必死でした。

たぶん無理でしょうけど話しだけならと、

やんわりお断りなメッセージを頂きましたが、

すぐに佐賀まで日帰り直談判弾丸ツアーを敢行。

まさか佐賀まで来るまいと思っていたでしょう。

さすがに無下に断れなかったのと、

やはり同じ靴好きとして企画には理解を

してくれたのではないでしょうか。

担当者のものづくり魂にも引火し困難への挑戦に

お力添えを頂けることとなりました。


数か月後、見事履きやすい靴へと生まれ変わり、

早速お客様へ届けると、とても喜ばれました。

靴の出来栄えももちろんですが、

やはり佐賀の靴工房が尽力したということも

とても意義深かったようで、以来、帰郷の際には

工房へ寄ってくださっていたそうです。


その靴を8年ご愛用いただきソールが摩耗、

その交換が出来ないか、という今回のご相談。

生地の部分は切れてしまっているのですが、

それでも履きたいというお客様の気持ちに、

再び当時の担当者が応えてくれました。

漫画ワンピースご存じの方でしたら、

空島でメリー号をクラバウターマンが修理する、

そのシーンが重なりました。(笑)

どうかもう少し、と祈るばかりです。



店主としての覚悟を教わった大切な靴。

あれから、色々なことが変化している中で

そのご縁が繋がっていることも嬉しく思います。





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