平井光世さん。
大寒。
来週はまた寒くなる予報ですが、
底でじっとしていたメダカが水面を泳いだり、
原料の天日干し作業で日差しの強さを感じたり、
工場では季節が移ろう兆しを感じます。
店でも春物の洋服がぽつぽつ到着しております。
イチオシアイテムが入荷し、何度も試着しながら
その良さをアツく語り、着こなしをあれこれと
イメージしながら早くご紹介したいと、
その日が待ち遠しい様子のスタッフ。
現在、枯れた花が多く見栄えしない工場の花壇。
でも、春にはきっと若葉が芽吹き花が咲くと
期待しながら時々水やりをしています。
花にとっては季節に若葉を芽吹かせるための
冬の過ごし方があるはずで、
それもわからずしている水やりは花にとっては
"why now?"とか"too much""too less"の連続?
なのかもしれません。
それでもたくましく咲いてくれることでしょう。
振り返れば母から店を引き継いだばかりから
この第二章を始めた頃は僕の厳冬期。
不惑の前後に徒手空拳で何やってんだろう?
春の兆しも皆無、焦りと自分への苛立ちの日々。
一方でどこかにいつかこの時を笑いたいな、
という楽観的な?いい加減な?性分が幸か不幸か、
そんな日々でした。
お客様が来る、来ないに関係なく毎月一度、
週末の夜に続けていたライブアートでは
作家のU2さんと将来を語り合っておりました。
ある夜、かなり遅い時間に立ち寄られたのが
平井光世さん。
布で絵を描く珍しい二人が出会うという奇跡。
偶然って面白いものです。
それから間もなくしてベルカテナ越谷移転、
この第二章へ続くわけですが、平井さんとは
お孫さんと僕の娘が小学校の同級生だったという
お互い知らなかった偶然に運動会でばったり会って
気付くという偶然にも程があるというご縁と、
乳がんを克服した平井さんのエネルギーから、
まだお客様もいない、しかも片道1.5hのワネストで
布絵教室を開講するご提案も頂き、その後9年間、
途中コロナ禍の休講という事態も乗り越え、
休まず月に2回遠方まで通ってくださり、
現在まで続いていました。
その間に7回を数えた生徒作品展。
回を重ねるごとにクオリティも上がり、
量も増えてゆく作品をどう飾るか?
頭を悩ませるようになり、
ディスプレイ前に全部床に並べる『作品カルタ』は
僕の恒例行事となり、色々勉強させて頂きました。
思えば作品カルタもU2さんから教わったもの。
出会いが繋がっていたと言えましょう。
12月に体調を崩され、回復を祈っておりましたが
1月23日にご逝去されました。
あの頃を笑って話すことが叶わず悔やまれますが、
『乳がんを機に第二の人生よ、』
溌剌と駆け抜け、見事な生き様でした。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
コメント
コメントを投稿